祐一と祐無と別れ、妹の栞とも別れた後、香里は一人、自分のクラスを探して体育館の壁に張り出されたクラス分け表を見ていた。
 人数の少ない右端から順に、中央に向かって一組までを見ていこうと思っていた香里だったが、なかなか自分の名前を見つけられなくて、すこしだけやきもきしていた。
 だが、ついでに探していた親友の名前もまだ見つかっていないのは、少しだけ嬉しい。
 少なくとも、まだクラスが分かれることが決定していないのだから、今年もまた一緒になれる可能性がある。
 二人は中学一年の頃からの仲だが、まだクラスが分かれてしまったことは一度もないので、名雪がいない教室など考えたくはない。
 いや、考えられなかった。

「よう、美坂。自分の名前は見つかったか?」

 そうして名前を見つける前の段階から一喜一憂している香里に、ごく自然な態度で話しかけた男子生徒がいた。
 高嶺の花とまではいかないが、美人なのに近寄りがたい雰囲気を放っている香里に話しかけてくる男子など、せいぜい片手の指で数えられるほどしかいない。

「あ、北川君。あたしはまだよ。そういうあなたは?」
「俺は一組だ。相沢や水瀬の名前もそこにあったぞ」
「……そう」

 香里は、その言葉に自分の名前だけが入っていないことに落胆した。
 性別の違いなどまったく気にしない二人と名雪も合わせた四人で遊んでいた三学期はそれなりに楽しかったが、今年は、その輪の中に自分だけが入ることを許されていないらしい。

「……俺が悪かった。だからそんなに気を落とすな、美坂の名前もちゃんとあったから」
「だっ、だれが気を落としてるって言うのよ!?」
「顔、赤いぞ?」
「…………!!」
「あっはっはっはっはっはっは!!」

 名雪か祐一が居ればそうでもないのだが、どうしてか、香里は潤と二人だけで会うと調子が狂う。
 自分もそれはそれとして楽しめているのだが、やはり、いつもの自分でいられなくなるというのは面白くない。

「ただ不思議なことに、俺たちの一組だけ、メンバーの変更が極端に少ないんだよなぁ。半分以上は去年と一緒だぜ、信じられるか?」
「それは……本当のことなら、確かに変ね」
「いや、ほんとだって。まだあまり詳しくは見てないけど、だいたい十人くらいしか去年と変わってる奴がいないんだ」
「あ、本当ね、確かに見覚えのある名前ばかりだわ……」

 話しながら香里もクラス表を眺めていたが、確かに潤が言うとおり、クラスメイトのほとんどが去年と同じだった。
 しかしそれでも、女子も男子も出席番号一番は共に『相沢』で、祐無の名前も、確かにそこに並んでいた。

「これは……今年一年、また楽しく過ごせそうね」
「そうだな。斉藤も貴志も一緒だし、俺にとっては申し分のないクラス分けだ」






 その、また楽しく過ごせそうで申し分のないクラスメイト達の教室は、共通の話題で持ちきりだった。
 曰く、「このクラスはおかしい」「絶対に誰かの陰謀だ」「担任まで石橋かよ」と、誰も彼もが、この異常とも言えるクラス分けについて話している。
 香里も潤に名雪を合わせた三人で、周囲とまったく同じ話題で盛り上がっていた。

「それにしても、何でこんなときに限って相沢がいないんだ? どうせ今日の水瀬の久々の遅刻も、相沢が来てないからなんだろ?」
「うん、そうなんだよ〜……」
「でもあたし、今朝、相沢君と会ったわよ?」
「あっ! ねぇ香里、そのときの祐一、いつもと比べてどこか変じゃなかった?」

 それと同時に、『いつも騒動に巻き込まれる』ことで有名な相沢祐一がこの場に不在だということが、彼女達の間では話されていた。
 彼はいつも騒動と共にあるが、それは彼が騒動を起こしているわけではなく、いつも騒動の方が彼のもとにやって来ているので、今回のこの不思議なクラス分けも、また生徒会か教師陣のどちらかが祐一絡みの騒動を起こしたのではないかというのが、クラスメイト達の通説となっている。
 それなのに、この場にその相沢祐一が居ないということが潤には理解できず、同時に周囲の通説をより現実的なものにしていた。
 確かに、こんなことが起きているのにそのクラスに祐一が居て、かつ教室に姿を見せないのだから、彼がなんらかの形で絡んでいる可能性は高い。

「あー、早く席に着けー」

 しかしそうした会話も、始業式が終わってからホームルームが始まるまでの短い間だけだ。
 出席番号の関係で香里と名雪は席が前後だが、北川だけは席が離れている。
 他のクラスメイト達も同じように話し相手と距離が離れてしまうので、それぞれが席につくことで、とりあえず教室の喧騒は静まった。

「あ〜……なんとも説明しづらいんだが、このクラスに転校生『のようなもの』が来ることになった。とりあえず、その紹介をしようと思う。入ってきてくれ」
「はい」

 新担任はクラス中の誰もが知る石橋で、彼は自分の自己紹介よりもまず先に、相沢姉弟の紹介をすることにした。
 返事をして廊下から姿を現したのは祐無一人で、教室は無言のまま、彼女が教壇に立つまで見続けていた。

「あ、相沢が女装してるっ!?」

 だがその静寂も、すぐに崩れることになる。
 なにせ彼女の姿は、クラスのみんなには『女子制服に身を包んだ相沢祐一』にしか見えないのだ。

「相沢あぁぁ! 貴様、この学校の女子制服なんてレアモノ、いったいドコから入手しやがったあぁぁ!!!」
「でも似合ってるー! きれいー!!」
「相沢は男だ、相沢は男だ、相沢は男だ、相沢は……」
「はっ!? まさか倉田先輩か!? それとも川澄先輩のものかっ!! コノォ、羨ましすぎる奴めーッ!!!」

 数秒前の静けさは何処へやら、教室の中は一瞬のうちに半狂乱の叫び声に支配されてしまった。
 冷静なのは本人と石橋、それに名雪と香里くらいなもので、他の者は皆、席を立ったりして驚愕や怒りを表現している。

「うるさい! ちょっとは黙れお前等!! これじゃ説明も何もできないだろうが!!!」

 その混乱を沈めたのは、他ならぬ祐無自身だった。
 それは今まで通りの祐一の声だったので見た目とのギャップが激しく、声量も鼓膜が震えるほど大きかったので、教室はすぐさまシーンとなった。
 動く者もはぁはぁと肩で息をしている祐無以外には一人としておらず、皆が皆、その『女装した祐一』に視線を集めている。

「はじめに言っておくけど、私の名前は相沢祐無であって祐一じゃありません。それとこの格好だけど、そもそも私は女なんだから、これは女装ってわけじゃないの。
 つまりみんなが思っているのとは逆で、今してるのが女装なんじゃなくて、今までのが男装だったの。勘違いしないでねー?」

 ついさっきの怒声とは打って変わって、祐無は自分本来の、耳に心地よいソプラノの声で話していた。
 そしてそのまま、男女共に唖然としているクラスメイト達を見回して、にっこりと微笑む。
 それはまだ社会の薄汚さも知らない、とても無垢な笑顔だった。

「いやちょっと待て相沢。でも、ちゃんと相沢祐一の席は用意してあるぞ?」
「それについてもご心配なく。ちゃぁんと、本物の祐一も廊下で待ってますので。あ、ちなみに私は、祐一とは双子だからね?」

 最前列という、非常に不幸な席になってしまった潤が質問をしてきたが、祐無はすんなりと受け答え、また微笑んだ。
 彼女が語尾上がりの口調と共ににっこりと微笑むのは、どうやら話し方の癖らしい。

「と、いうわけで、これからはちゃんと女の子としてこの学校に通うことになりました、相沢祐一改め相沢祐無です。これまで通り、よろしくお願いします」
「同じく、正真正銘『今日から』この学校に通うことになりました、本物の相沢祐一です。双子の姉共々、よろしくお願いします」

 祐無に続けて、突然祐一が教室に踏み入って自己紹介をした。
 ちなみに、この自己紹介が結果的にすべてアドリブで構成されていたことは、二人だけの秘密である。